最近の酒の好み
「迷い人」の方で、出汁の話で盛り上がってた時のこと。
ちっと、思ったのが、自分の酒の好み。
私は、酒は強くないのだが、ボチボチ好きであります。最近は日本酒なんだな、好きなのが。
それも、地元のカップ酒程度の物が非常に旨く感じる。大吟醸とか旨いのかもしれないけど、高いのに飲み口がいいので飲みすぎちゃってコスト高。しかも、なんかこう独特の臭いとか、味が、食い物と合わなくてねぇ、いや、いい香りではあるんだけどさ。いや、普通の日本酒も味的にはかなり「エグミ」はあるんだけど、食い物のジャマにはならんのです。
食事と共にやる時には、熱燗が主。若い時分は、熱燗なんて絶対飲まなかったけど、焼き魚・煮魚・刺身・塩から・酢の物なんかとは最高に合うんです。魚系の生臭さや、酢の酸味と非常によく合う。いや、本当に感動。熱燗ってところが、あまり賛同はもらえない所ではありますが、旨いもんは旨い。寿司屋でチビチビ飲むのがいいなぁ。
食事以外のときは、常温でやります。このときの「アテ」に一番旨いと思うのが「スルメ」。これがいい。炙ったスルメを口に入れ、かみ締めながら、酒を含む。こうぅれがね・・・・口の中で良質の出汁がにじみ出てくる感じでござんして。だらーり、だらりと飲むには最高なんだな。
好みの問題もあるんで、絶対旨いとは言い切れないけど、今はこういうのみ方が好きだな。だからと言って、他の酒類が嫌いなわけではない。ただ、未だにウイスキーの旨さが身にしみてこないんだよな。
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コメント
こんばんは、毎度お世話になっとります。
私は物心ついた時には、大阪難波の高島屋の裏にある芸者さんを派遣する御茶屋さんのような家庭で育っていました。
詳細はよく知りませんが、
両親は死んだ(笑)と聞かされ、
7人の叔父叔母を父・母と呼び、
他とは明らかに違う特異な環境で育ちました。
芸者さんのお稽古を見てから、夜は一緒に阿倍野の料亭に付いていき、
酔客とダンスホールにお供し、
あるいはゴーゴーホールに行き、
朝帰りして幼稚園や小学生に行くという昼夜逆転の生活でした。
家ではなぜかシャンソンが大音響で一日中リピートで流れ、
小学1年生にて、既に火を使って皆の食事の用意をし始める感じで、
酒宴にマスコット代わりに呼ばれ、子供芸をリクエストされ酒も付き合って飲むのが当たり前という子供の頃でした。
当然今の基準では子供が飲酒というあってはならない事ですが、時代もあってか、それが生活そのものでありました。
そういった生活も小学生の高学年になると芸者とか料亭が斜陽し、
親族は離散し、
酒を飲む事もなくなりましたが、
貧乏ゆえに、高校から早めの一人暮らしを始める事になり、奨学金で大学には行き、
そういった経緯で自炊暦は40年近くになり、
飯を作る事は人生で寝ることに次いで食事を作る時間が長かったように思い、
以前の食い物についてうるさいのもそういった経緯でしょうか。
結婚するまでの約10年、熱燗でスルメをあぶって一人でチビチビと、
一人で鍋をつついてチビチビと、
誰もしゃべる相手がいない空間でチビチビと、
日本酒は自分にとって孤独で孤独な時代を思い出す記号であります。
旨いですが、秋のわびしさに包まれる今の時期には少々心に沁み過ぎる飲み物でして、
いつからか酒はビールやウイスキーやブランデーにあえてするようになりました。
ウイスキーはストレートやロックで飲むと実に旨いです。
モルトは酒の銘柄によって表情豊かで個性があって、その個性を味わうのはいいもんです。
投稿: weed | 2007年11月15日 (木) 01時32分
こんにちは、昨夜はついつい寒い夜風にあたって、
深酒でセンチになって変な文章を書いてしまいやした。
削除もできない事ですし、忘れてくださいやし。
ちなみに私はわりと飲める方でして、
不況の最近は酒代がもったいないので、
極力ビール1,2本で抑えております。
時たま昨夜のようにセンチな気分や極端に陽気になり、
タガがはずれてビールやワインが片っ端から空いてしまい経済的に困ったことになります。
浦和というか日本勢の初優勝ですから、
祝杯を1人でガブガブやってしまいやした。
山・神チームも早くJ1昇格されますよう祈っております。
ちなみHemRockさんのブログにおじゃまするようになって、録画とかで時々は山・神ことモンテディオの試合を見ているのですが、
私が見ていて勝った試合がまだないのです。
私は疫病神で見ない方がいいのでしょうか?
投稿: weed | 2007年11月15日 (木) 12時04分
こちらのブログにも書き込み有難うございます。
やはり、コメントがあると嬉しいですね!!
しかし、weedさん、大正ロマン~昭和初期の頃が舞台の小説の主人公のような人生ですね。
ぬくぬくと、当たり前に幸せを貪っていた、私の生い立ちとはまるで違います。苦学もせずに、大学にきってやってるんだと言う甚だ罰当たりな意識。家族がいることの幸せなんて、改めて認識することすらしなかった。
音楽にしろ、酒にしろ、それを嗜んだ時の記憶が呼び起こされる物ですね。ただ、私の場合、呼び起こされる記憶は、甚だ、精神的に貧しいモノでしかないような気がします。
ウイスキー。シングルモルトは産地によって、味や香りに違いがあるそうですね。その辺は日本酒の地酒の楽しみと似ているのかな。とにかく、酒については、失敗が多くて、其の記憶が、ウイスキーを味わうジャマをしてるのかも。
やはり、昨日はACL決勝見てましたか!私もビデヲで見ましたよ。スポナビでUPします。なんいせよ、Jのチームが優勝してよかった。
山神モンテも見てくれてるんですか!有難うございます。
勝った試合を見られる率は、今期の勝ち数をみればわかるとおり少ないですねぇ。わたしもホームでまだ勝った試合を見たことがありません。本当に、時分は疫病神のように感じてしまいますよね・・・。
以前も、weedさんは山形の試合を見た感想を書いてくれたことがありましたよねー。今シーズンからフロントも変わったことですし、ジョジョにいい方向へいくもとの思っております。のんびりと付き合いたいなと。
山形についても、近いうちスポナビでUPしようかな。
今後も、たまにでいいんで、山形も見てやってください。大卒でけっこういい選手取ったみたいですし。
投稿: HemRock | 2007年11月15日 (木) 17時46分
酒の味はイマイチ・・・わかりませんが、以前のハーゲンダッツよろしく、旨いものは旨い・・・やはり温泉(もちろん部屋出し)で頂く現地のお酒(もちろん日本酒)が美味しい。そういう僕は、年に二度ほど旅に出ます。僕は月に30日以上働いてしまう人なので、大義名分は「自分へのご褒美」。もちろん温泉・・・僕との悪縁に悩まされている女も、普段はワインやカクテルしか飲まないのに、出された冷酒を美味しそうに飲みます・・・。
つまりその「瞬間」が美味しいのでしょうww普段の詰め込むだけの食生活の貧しさに反省ですww
以前は、粋がってバーボンを勢い良く飲んでいたのですが、そういう休暇の意味とか休息の意味をようやく理解でき始めて、ようやくバーボンも美味しく飲めるようになってきた。久しぶりに飲むと・・・こんなに美味しかったっけ??と思うこともしばしば・・・
僕はまだHemRockさんのように、格好良くお酒が飲めていないのかもしれませんねw大人にならなければww
と、ようやく文が繋がるようになったので、僕が生命至上主義が命を廃らせると思う訳を、子供の戯言だと思って聞いて頂ければ(ん?卑怯か?)ww・・・と思います。
あくまでも命は手段であって、目的ではないのではないか?と単純に考えていること、そしてそう思わなければ理解できない歴史や死がたくさんありすぎるという事・・・
以前に、アンビバレントなポリバレントの話題で、少し宗教の話をしたことを覚えていますでしょうか?その時にHemRockさんが、昔は聖書を読み漁ったとか?そういう事を言ってましたよね?僕も少し前まではそうだったので、「同じだ・・・」と思ったのが、ここに良く遊びにくるきっかけになりました。
やはり人間は「絶対性を希求してしまう生きもの」だと僕は思ってしまうのです。一神教を持たない、僕が言うのもなんですが、そうでなければゴッドもアラーも存在する理由が理解できなくなってしまうのです。
そして、何かの為に、誰かの為に命を投げ出してきた人間の歴史を、犬死にだと冷笑する勇気を人間は決して持つことが出来ないのだと、僕の浅はかな人間理解ではそういう事になるのです。
僕が、決して何かの為に誰かの為に死ぬことの出来る人間だというのではなく・・・
その理解を筋を通して言葉にしたりすると、生命至上主義は命そのものを廃らせる・・・と安直に、僕は書いてしまったりするわけです。
そういう亡くなった命を尊いと思うからこそ、そういう言葉遣いにならざるを得ない・・・と言ったほうが、いいかもしれません。僕の言うところの生命至上主義も一つの宗教だと僕は思っているのです。多分、人間はそれ程自分を正当化したい・・・もちろん僕もwwだからこそ浅はかな自分が、せめて謙虚である為にというのも・・・
追伸 宗教の否定ではなく、歴史や伝統を無視して、個人が宗教と直接結びつくのが僕は嫌なのだと、文脈で宗教の意味をそれぞれ使い分けて欲しいなぁ・・・と思います。
では!!今度はサッカーの話で!!岡田さんの就任が決まったら、ブログ再開しますよ!!
投稿: モーリー | 2007年12月 6日 (木) 21時11分
関係ない話ですが・・・weedさんのコメントを読んで不覚にも泣いてしまった。(少しですよww)
僕も高校の頃には、一人暮らしだったので・・・思い出してしまったww今もですがww
ちなみに僕は誰かと暮らす勇気や、一人で酒を飲む勇気はないようですww孤独を過度に恐れているのかもしれません。いつも誰かに囲まれてないと、落ち着かなくなってしまった。今度、大人になる為に一人酒をしようと思います。もちろん酒で・・・
投稿: モーリー | 2007年12月 6日 (木) 21時23分
うはは、またもスポナビでシステムエラー。コメント欄にコメントできませんです。
モーリーサン、スポナビのコメント欄は、話の流れでサッカーを外れても、全く問題ないです。ここの話につなげるだけで、相当な苦労だったかと。
しかし、月に30日も働くとは。私のようなお気楽サラリーマンとは違いますね。自分にご褒美大いに結構じゃないですか!二人でゆっくりと温泉旅行か・・・子育てが落ち着いたら、妻とのんびりいきたいもんです。
私も20代の頃は、かなり勘違いしており、カッコつけて飲んでました。其の頃の失敗談もかなりありましてですね。今の飲み方もケッシテ褒められたモンじゃないです。ただ、飲みやすいから、そうやって飲んでるだけです。
>以前に、アンビバレントなポリバレントの話題で、少し宗教の話をしたことを覚えていますでしょうか?
もちろん、覚えてます。ここですね(http://www.plus-blog.sportsnavi.com/hemrock/article/12)。ペレファンさんも登場の回でした。
高校の頃、プロテスタント教会に通ったりもしましたね。後輩でクリスチャンがいましたし。そいつは、牧師になりました。聖書も熱心に読んだと思っていたんですが、内容はほぼ忘れてしまってます。
私の場合、救いを求めてと言うよりも、「絶対的な価値基準」手っ取り早く求めてい端だと思います。安易だったんですね。「絶対性を希求してしまう生き物」ってのは納得です。
「命は目的を果たすための手段である。」か。私は「命がまた目的を生む」のではないかとも思うのです。なんというかな、「目的」は個人の価値観によって其々でしょうが、命を手段として覚悟するほどの目的を持つ者は稀有でしょう。現在、そこまでの目的は持たなくても、命があってこそ、目的を見出すことができる。だから、私は「兎に角生きろ」と言いたいのですわ。
と、いうものの「命は目的を果たすための手段である。」こう言い切れるまでの「目的」を見出せる者は「幸せ」だと思います。私の言うことは、目的を持たざるものの自己弁護に過ぎないか。
なるほど!そういう目的に殉じた者に対しての敬意の表れなのかな?「生命至上主義は、命そのものを廃らせる」ってことは。しかし、苛烈な言葉だなぁ。ドキッとしますよ。私には無い強さだな。
「生きてるだけで素晴らしい」ってのも確かに宗教じみてることは確かかも。そこで、開き直ってしまえば、「悩み無用」ですから。それは宗教に近い。
自分を正当化したい・・・これは図星です。ズバリだわ。色々考えても、帰結するのは「自己の正当化」。その輪廻から逃れられるのはいつなんでしょうかね。で、またインスタントに宗教に走るか!?それはダメだ。悩み・考えることから逃げてはいけない。いや、逃げまくってるか。もう一回大学時代の時間が欲しい。切に思います。失って解る、時間の大切さ。ただ、その失った経験も、今の自分を形成していることも確か。ぐあ、また内向的になってきてる。
ずいぶんずれた。
横浜FMファンとすれば、岡田氏代表監督就任に関しては、色々思う所はあるでしょうねー。ブログ楽しみにしてますよ!!
weedさんの酒にまつわる話の方が、本文よりも読み応えがあります。モーリーさんも、セルジヲのエントリーで見たところ、事情がおありのようですね。
>ちなみに僕は誰かと暮らす勇気や、一人で酒を飲む勇気はないようですww孤独を過度に恐れているのかもしれません。
こういうの、解りますね。私も、学生時代や、独身時代は確かにそんな感じを持ってましたよ。「誰かと暮す」ってのも、お互いを尊重せにゃならんですから、自分の都合では事は進みませんし。でも、それもまた「一興」。打算で話してしまえば、「誰かと暮す」経験はした方が良いと思います。
其れがあるから、一人酒もまた良いわけでして。たまに、一人酒同士が目が合って、「ああ、あんたも?」的な照れ笑い。そこから、話が弾んじゃたりして。
無理に、一人で飲むことはないです。そうしたくなれば、自然とそうなるものでして。今、楽しいと思う飲み方でOK!!
私は、賑やかに飲むのも大好きですし。
投稿: HemRock | 2007年12月 7日 (金) 18時47分
やあ、どうもです。
いつのまにか、わたしの話も出てるではないですか。
以前HemRockさんが
>大正ロマン~昭和初期の頃が舞台の小説の主人公のような人生ですね。
と仰られたのは言いえて妙だとえらく納得しましたわ。
映画「麻雀放浪記」のテーマ音楽を聞くと、えらい懐かしい自分の子供時代やルーツを触れられた気分になったりするんで、マジで私は大正時代の人間のような気もしてます。
どうも私は友人たちに言わせれば非常に特殊で、小説の主人公のような人間らしいです。
モーリーさんの参考にでもなればと思い、HemRockさんのこの場をお借りして、
恥ずかしい体験談の1つでも書いておきます。
大きな声ではいえない過去ですが、小さな声で22歳の時、私は冤罪に遭いました。
暴力団5人が起こした事件で、組長の代わりに他の暴力団4人と逮捕されてしまうという事件で、
身寄りのない事で狙われたのか、4人のヤクザが私を共犯者だと供述する為、抵抗してもムダで、警察など犯人を作るのが仕事で、無実を証明してくれる組織じゃありませんので、
ゆえに勝ち目のない抵抗だと、法学部ゆえに余計に判って、強力な取調べに結局屈して有罪の前科者になってしまいました。私の心の傷ですわ。
今なら笑えますが…。
そこで親だけでなく、親類からも絶縁され、ヤケで裏社会デビューという経歴をもってます。
背中に豪華な絵巻物とシャブ中と暴力の支配するなかなかシュールな世界であります。
しかしながら、自分は胸はって生きたいとやはり決心し、ひどい目に遭いながらも裏社会を脱出、
住み込みのドサ回り仕事で、金を蓄え念願の小さな貧乏人アパートを借りて住み、
アルバイトに行きながら、やっと普通に生計を立てる生活を始められました。
ただし、何もかもなくしました。
ふとんを買って寝たときの幸せ感、2年ぶりに寝るふとんの幸せって心に残ってます。
自分で炊いた炊き立てご飯のうまさって凄いです。
それ以後マイテレビを購入、テレビをゆっくり見るのは約5年ぶりで、実に贅沢だと感じましたね。
その時やってたメキシコワールドカップかじりつきで見ました。
1年以上仕事以外で誰とも話さない環境から、彼女ができておしゃべりする相手がいるという幸せは最上のもです。
大学時代の友人たちとの交流も始まり、楽しい会話での酒宴の楽しさも知りました。
協力者が現れはじめ、私の保証人となってくれて、普通に大手の会社員と成れました。
28歳で普通の人間にやっとなれました。
人並みに仕事できるのは幸せです。
嫁と結婚し、子供ができ家族のいる幸せは子供の頃から私が望んだものであり、家族のいる幸せと有難みは何ものにも代えることが出来ない宝であります。
しゃべる相手がいる、一緒に暮らせる人がいる、うまいものが食える、サッカーも楽しめる、
生きている事で味わえるこれら1つ1つが有り難い事だと私は思います。
投稿: weed | 2007年12月 7日 (金) 21時14分
相変わらずまとまりの無い文章ですいません。
HemRockさんからお聞きする意見も感想も、
上のような経緯もあり、私にはそれら全てが楽しいのであります。
変な人生で変人の偏った考え方に自分はなっているだろうかと思い、
そのせいで、私は自分のブログを作り公開する勇気がまだないのですが、
その勇気が出来た時には、ご訪問願います。
いずれにせよ、山岡荘八の世界でよく出てくる、
人生は借り物の体でいつか天に体を返すものと思っております。
せっかく生きている権利を手に入れたのだから、
生きている時間を楽しみたい、難しい事抜きで、それでいいんじゃないのかなと、私は常にそう思っています。
投稿: weed | 2007年12月 7日 (金) 21時56分
HemRockさん。weedさん。
こんなにもご丁寧な返信・・・ありがとうございます。お二方の優しさに感謝します・・・僕は、今よりもずっと若い頃・・・華々しく死にたい・・・と思っていた時期すらあったのですが、今はそんなことは全く思っていないのでご安心をww
僕はやはり弱いのか?自分を虚飾して強く見せようとしているのではないか?ブログのほうが本音に近いことを書けるのですが、日常でもそういう事を感じることもしばしば・・・実にお恥ずかしいです。最近では、道化を演じることにすっかりと慣れたのか?元々の素養なのか?わかりませんが、やはり時々素の自分というか、怒りを原動力にして進むような自分も居たり・・・大抵はそれは自己愛なのではないか?と感じることもあり・・・なかなか難しいです。それにしても悲壮感なく、weedさんのように過去を話せるようになるのはいつなのか?
弱い私は、ついつい考え込むことに逃げてしまうww
コンプレックスの表明が、ある種の克服なのだとは知っているつもりなのですが、やっぱりお二人のように「深さ」が足りないのでしょう。もっと生きねば!!
HemRockさんとは、言葉の前提で食い違うことが良くありますが、そこを話せば僕は大抵のことを理解できるのです。今回下さった返信でも同じです。
尊い命にすべく、それに固執すべきではない。それは「ただ」「無条件に」大切ではないのだという僕の感覚が「生命至上主義は命そのものを廃らせる・・・」という言葉になっているのだと、僕は思います(他人事?ww)。こういうやりとりで気づくことが出来るのは非常に素晴らしいですねぇー。
死すらも平等ではない世界で、唯一平等なのが死への恐怖だと僕は思います。だから死ぬことでしか「価値」や「目的」を全うできないというのは・・・やはり幸せではないかと・・・僕はそう思います。そこだけが僕は少し主張したいww
僕にとっては、僕の言うところの生命至上主義を超越するものは、自分を超越するものや、自分以上に大切に思える人だと言っていいのかも・・・また一つ自分なりの真実に近づけた気が・・・ただ輪廻の如くスタート地点に戻っているかもww
僕が常々思っていること・・・愛や家族すらも所詮フィクション・・・ただ僕はそのフィクションに全力で生きたい!!天に体を返すまでww
では、また!!
追伸 次こそはサッカーの話題で!!オシムが喋ったそれだけで嬉しい僕より・・・
投稿: モーリー | 2007年12月 8日 (土) 21時12分
スイマセン・・・何か一方的な書き方になっているようで・・・
少しだけ泣いたのは嘘で、結構泣きました!でも、号泣ではありませんwww
それから少し補足を・・・
それが例え美しい死であったとしても・・・という言葉を、・・・やはり幸せではないかと・・・の後に付け加えさせて下さい。
それからweedさんが、僕の為に話して下さったことをコンプレックスなどとは、決して思っていませんからね!
僕にとっての過去がコンプレックスで、それをまだなかなか表明できない。という事が言いたかったのです。全部話せたのは、ある女ただ一人です。
スイマセンwwなんか返信を見ると嬉しくて、ただ一方的に書いてしまいました・・・やはり「深み」が足りないようです。
では、また!!
投稿: モーリー | 2007年12月 8日 (土) 21時22分
>weedさんへ
>警察は犯人を作るのが目的・・・
古今の冤罪事件を見るに、そう思わざるを得ない事件が多すぎますよね。weedさんがその犠牲になっていたとは驚きです。まして、他の者に口裏合わせられたら、警察は確認調査などしませんよね。
>何もかもなくしました。
この一言の重み。「胸を張って生きたい」の思いから、「何もかもなくす」覚悟。しかも裏社会からの脱却となれば、命にも係ってくるでしょう。其の覚悟を実行に移した精神力。これもweedさんの中では、命を賭して目的を達成しようという覚悟だったのでしょか。
命一つから、今の生活を作り上げてきた。これは、常に「家族」という存在を当然あるべきものとして、生活してきた私には、知ることのできない、「苦労」であり、家族と共にいる幸せは、私が感じる以上のものでしょう。
この感覚は自分には無かったもの。「戦前世代」と「戦後世代」の違いのように大きな物だと思います。
「生きていること」に対する「有難い」と思う気持ち。この気持ちの深さは、「無いものねだり」の私にはないものです。私の発する「感謝」の言葉のなんと浅いことか。
山岡荘八の言葉は、不勉強にてわかりませんでした。まだ、「いつか天に体を返すもの」という考えは、今の私には解りえないものだと思います。しかし、何れそのような考えが、身に滲んでくるものでありたいと思います。
ブログに関してですが、おそらく、weedさんは勇気を与える側になり得ると思います。
考え方が偏ってるなんて、皆、話をする以上は、偏ってなければ話はできないです。その「偏り」がどういう理由でそうなるのかという所を話すweedさんの話が、また為になるわけですから。
ブログを公開なさるなら、勿論お邪魔致しますよ!
ただ、其の時が来るのを、のんびり待ってます。
投稿: HemRock | 2007年12月10日 (月) 14時31分
>モーリーさんへ
生きることそのものが、自己愛の表れではないかと思い悩んだ経験はあります。また、「偽善的だ」と言わんばかりの糾弾にあい、「善い」と言われることを行うのは、結局のところ「自己愛」に過ぎないのではと悩んだこともありました。結局、そういう感覚は忘れ去ることで現状を生きていく=周りに合わせることで、適合することを選択してきた私は、モーリーサンの言葉を見ると、そういう選択をした自分が、なんかこう、不甲斐なく感じ、後悔の念を感じてしまうのだと思います。
デカルトの「我思う、故に我あり。」以前はなんと傲慢な言葉かと感じたものです。しかし、今はなんとなくそうかもしれないと思います。モーリーさんの言う「フィクション」という言葉が、この言葉に近いように感じます。「現実は、自分が現実だと思うから現実」。愛や家族もあったとて、其れを認識しなければ、無いということ。リアルとフィクションの境は曖昧なのかも。ただ、信じるものに全力で生きる。これは、モーリーサンの文章を見ると、そうしてるんだなって感じられますよ。
過去のコンプレックスを表明する相手がいるのはいいですね。私の妻も、そんな相手でした。ただ、私の場合、自分のコンプレックスをぶつけるばかりでしたけど・・・。けっこう酷い男です。
投稿: HemRock | 2007年12月10日 (月) 14時53分